「死」に直面する
サワディカー
高橋久美子です。
週末は、バンコクから飛行機で一時間の
タイの農村部を訪れました。
ある農家に泊めていただいたのですが、
その日は、そこで飼っているニワトリを
ご馳走していただけることになりました。
庭を数十羽のニワトリが、
コッココッコと走り回っているのですが、
その中から、一羽を捕まえます。
細い紐でワナを作り、
ワナの真ん中に餌のコメを撒いておびき寄せるという、
マンガで見るような、
なんとも古典的な方法です。
ワナをかけて10分ほど。
ニワトリたちも気づいているのか、
なかなかワナにかからないなぁ・・・と、
思っていたら、
「つかまえたよー!(←もちろんタイ語)」と、
9才くらいの男の子が、
得意そうに笑顔でニワトリを抱えて走ってきました。
他の子どもたちが、
お皿とナイフを用意して、
ニワトリを持った男の子の周りに集まってきました。
ひとりの女の子がニワトリの足を持ち、
捕まえた男の子は、
ニワトリの頭の部分を引っ張ります。
首の羽をむしったかと思うと、
「プッ」と、
あっさり、首にナイフを入れました。
切り口をじょうずにお皿の上で傾けて、
血をしぼり出します。
ニワトリを「シメる」ところを、
目の前で、初めて見ました。
「キャー!かわいそう!」と、
目を覆う女の子はいません。
みんな、しっかり周りにいて、
次の手順のお手伝いをしてくれます。
いつの間にか、
誰かが沸かしてくれていた熱湯が入った鍋に、
ニワトリをさっとつけます。
そして、次には、
みんなで羽をむしります。
熱湯につかったせいか、
意外に簡単そうに、きれいにむしれていきます。
と、その時です。
仲間のニワトリが集まってきて、
むしった羽を、
バクバク食べているではありませんか。
シメたニワトリの家族も、
しっかり食べています。
羽だけではありません。
その後でもらえるはずの腸なども、
楽しみに待っていて、取り合いになっていました。
庭にある竹で串を作り、
あっという間に、おいしい焼き鳥になりました。
頭も、足も、骨も、
犬やニワトリが全部食べてしまうので、
最後は跡形もなくなりました。
ある意味、
食べるために生まれてきた命なので、
食べられずに病気で死んでしまうより、
食べられることのほうが、
ずっと幸せなことかもしれません。
昔は日本でも、
こんな風景があちこちで見られたのだと思うのですが、
今では、おそらく、
何才以上じゃないと見せちゃダメとか、
言われるのだと思います。
しかし、ここの地域では、
ニワトリを捕まえるのから、
焼き鳥にするまで、
ほとんどの工程を、
子どもたちがやってくれました。
ここでは、作り物ではない、
リアルな現実が、いつも目の前にある生活です。
たくさんの植物と、動物、
そして、さまざまな年代の人が一緒に暮らしています。
自分の周りが、
生命体だらけなのです。
すごく近くにたくさんの「命」があって、
その分、「死」に直面する場面も多い。
どっちがいいとか悪いとかではないですが、
日本の子供とは、
明らかに「目にするもの」が違います。
たくましさと生命力、
エネルギーを感じます。
ただ、
こんな話をすると、
「東南アジアの農村部は、昔の日本みたい。
野蛮で、貧しくて、遅れているイメージ」
を持つ人もいるかもしれません。
ところが、
それは大間違いなのです。
ちょっとメールが長くなったので、
今日はこのへんにしておきますが、
次回は、
東南アジアの農村部の収入源について、
話をしたいと思います。
それでは、コップンカー。
※ニワトリの様子は、
私の個人FBで動画を公開しています。
↓ ↓
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1651443524942772&id=100002314224163
※次回の全国ツアー日程はコチラから
いろんな地域を廻るので、
ぜひ、私に会いに来てくださいね。
↓ ↓ ↓
http://www.nikkeisangyou.com/mbs2018/
高橋久美子
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